どんな罰も救いにはならない
死刑をどう捉えるか。
それを被害者が望むものという観点で考えてみた。
被害者が犯人の死を望むのは仕方のないこと、というか、もしも自分が被害者になればそうだろうと思う。でもそれは、日本での究極の刑が、文字通り極刑=死刑だから、とも考えられる。例えば今の時代に、いかに犯人が憎かろうと「さらし首」を望む気持ちは湧いてこないのではないか。その時点、その時点で、究極の刑のカタチは変わっても良いように思う。
移行期の被害者は悔しい思いをする(前だったらこうだったのに!)ことになるが、どんな刑罰にしろ、結局のところ、被害者の憎しみや悲しみが、刑罰の執行そのことによって消えることはない。
といって死刑廃止だ、とも言えないのだけども。。。
2018.3.30読了