日本人よ、「しあわせビンボー生活」の幻想はもう捨てよう。
狭い畳の部屋、古いお風呂、ボロボロのスニーカーに、ちびっちゃい鉛筆で勉強する子ども。
貧しそうだけど、なんだか幸せそうな響きがある、と思ってしまう。「お金はないけど幸せ」の形。
でも子どもはそれではいけない。
親の所得は、子どもの現在の教育・進学・将来の所得にダイレクトに影響するそうだ。さらに、格差は意識の格差を産む。結果、貧困・格差は再生産される。
貧困状態 (経済的理由で、子どもの最低限保障されるべきものが与えられない状況)にある子どもは、ゼロを目指さなければならない。すべての子は、豊かにのびのびと生き、学び、遊ぶべきだ。
「しあわせビンボー生活」の幻想は捨てよう。
このテーマはもう少しいくつか読んでみたいと思う。
2018.6.28読了
不自然さを見下して、心地よくなっていた小さな自分が恥ずかしい。
久しぶりに、グラグラっとくる小説を読んだ。
ぶりっ子している子が好きだった。
可愛い子が何度も制服のリボンを可愛い形に直すのが好きだった。
サッカーボールを何ともなしにリフティングしてみせるお調子者が好きだった。
イケメンと呼ばれる子が前髪を気にするのが好きだった。
思春期のなかで、他者の視線を意識して自然に振る舞おうとしながら結局不自然になってしまっている姿を見ると、「愛しさ」のようなものを感じていた。
そういう人って陰では悪口を言われることも多くて、私のように肯定的に見ることについて、優しい、という人もいる。
でも本当は、彼らの自然に振る舞おうとする不自然さを見つけて「それを分かってて気づかないふりをする」ことで自尊心を満たしていたのかもしれない。
上から目線。
たとえ不自然に見えようとも、堂々とありたい自分の振る舞いをする彼らは、強い。
そこが羨ましかったのかもしれない。
2018.6.14読了
将来どんな人を好きになるか、今から予想できますか?
2009年頃だったと思う。
ある日仲の良い女性の友人や先輩たちと楽しくおしゃべりしていたときのこと。
何気なく、
「私には今まで好きになった女性はいないけど、出会いが違えば(当時付き合っていた男性がいなければ)好きになることはあり得る」
と話すと、それまでの楽しい雰囲気が一変、
「本気で言ってるの?」
と否定的な反応が返ってきて驚いた。
私は心身ともに女性で男性を好き、いわゆる異性愛者だけど、一生涯女性を好きになる可能性がないなんて、どうしてわかるだろう。たった一人との出会いで変わる可能性だってあるじゃないか。そう思っての発言だったけど、その場の収拾をつけるために、適当に冗談で流した。
ここ1〜2年で社会的にLGBTの言葉もひろく浸透し、東京のパレードは各局のニュースでも取り上げられるようになった。
でも、すこし前まで、知識では理解できても身近にはいて欲しくないと思われていた。
そしてさらに前では、酷い偏見と差別にさらされ続けていた。この頃の辞典での「異性愛」についての書きっぷりはあまりに酷くて驚いた。
今も無くなったわけじゃない。
私だって振り返ってみると異性愛至上主義に基づいた言動だったと気づくことが今でもよくある。
この本は2010年初版。書いてあることは、まるで何十年も昔の話のように感じるけれど、ほんの少し前のこと。
2018.6.12読了
道徳の時間ってこそばゆいのに笑っちゃいけない感じなのは何故か。
道徳の教科書に出てくるストーリーは不自然、って子どもでも気がついている。
国語の教科書に載ってる小説について、ふざけたりネタにする子はいても、道徳の教科書のストーリーをネタにする子はいなかった。
先生が「答えはありません、思った通りに」と言ったところで、望ましいとされる答えが透けて見えちゃう。
道徳の授業には暗黙のルールがあるみたいだ。
でもそれって道徳?嘘をつくなと教えながら、空気を読んで思ってもいないことを言えっての?
良心は習うものではない。
それでも教科書に載ってるようなものを身につけると社会生活がスムーズだから授業するんだろう。それならいっそ思い切って「道徳」なんて呼ばずに「マナー講座」なんて名前でもいいんじゃない?
2018.5.30読了
小さなことでも10日続けることは難しい
毎日腹筋しよう、子どもと遊んでるときには携帯を触らない、とかとか。
いろいろ自分の中で約束事をしてみるのだけど、三日坊主とはよく言ったもので、10日でも続けるのは難しい。
逆に、小さなことでも達成できたら嬉しいから、私は毎年年初に小さな目標を立てるようにしている。
・40冊本を読むこと
・良いと思った言葉をメモして溜め込むこと
今年はこの2つ。インプット/アウトプットの量を担保する。
昔から本は好きだけど、こんなペースで本を読むのは初めてだったりする。こんなペースで読んでみて初めて、一貫したテーマの本をいくつか読む面白さを知った。全く違うジャンルなのに前に読んだ本との共通点が見つかるようになった。
コツコツが美徳、とは思わない。でも、小さなことでも、続けてみて初めて見える景色というものがあるんだと思う。
2018.5.26読了
保健室には、保健室登校、たばこ自慢、リストカットのふり、過呼吸もち、みんないた。
私は中学3年生のとき保健委員長をしていたことを思い出した。
委員長のお仕事のためもあって、保健室では長い時間を過ごした。おばちゃんの保健室の先生と一緒に、保健だよりを作ったり、健康診断の準備の手伝いをしたり。
中学の女子といえば?、グループ意識が強い。誰と誰は同じグループ、違うグループの子とは挨拶はするけど一緒に過ごしたりしない。そんな雰囲気だった。
私自身は、ふつうの女の子だったと思う。委員長をするくらいには優等生だったけど、ふつうに友達とふざけたりもする。ただ、保健委員長のおかげで、この「グループ」から外れている子と繋がれた。
保健室登校の子ともよく話した。一回遊びに行ったりもした。
隠れてたばこを吸ってた子は、昼休みに吸って、私にたばこ臭い息を吐いてふざけてた。荒れている子だったけど、臭いから嫌だと伝えても笑ってた。
リストカットのふりをする子はいつも手首に包帯を巻いていた。傷のない綺麗な腕をほどいて見せてくれた。
数人で別れて話し合いなどの場面になると過呼吸になっちゃう子。とりあえず落ち着かせて深呼吸させてた。
他にもたくさんのいわゆる「外れた子」と仲良くなれた。ああ、保健室のおかげだったのか。
保健室だと、みんな素直だった。
ほとんど声を出さないくらい大人しい子もいれば、大声出すようなうるさい子もいたけど、みんな教室に居場所がなかったり、家庭に居場所がなかったりしたのかな。
保健室がみんなをつないでくれたのかな。
その後保健室みたいな空間がなくなって、みんなは元気にやれてるのかな。。。
2018.5.17読了
高齢化社会について考える
人口問題って、数が大きすぎてリアルさに欠けて、危機感を持ちづらい。でももうそんなことも言っていられない。
大きな気づきがあった。よくよく考えれば確かにそうなんだが、あまり意識していなかった点。
地方と都市部では確かに高齢化の捉え方が変わってくるようだ。
地方は、現時点ですでに若い人が減り高齢者の割合が多くなっている。今後は割合は増えていくが、高齢者になる人の数もそもそも多くないので高齢者の数は激増しない。
都市部では、地方から流入する若者のおかげで、現時点では多少高齢者の割合の増が抑えられている。今後はその若者たちも歳をとっていくのだから高齢者の数自体が膨らんでいく。
これを踏まえると、それぞれ地方と都市部では高齢者関連需要が最大となる時期が異なる。バンバン高齢者向けの施設を作ろうとすると、地方では供給過多となる可能性もある。
これをうまく都市部の将来の高齢者向けに使えないか。
都市部の高齢者関連需要を、都市部内ですべて解決するのは無理がある。それは広さに加えて、都市部は働く若者向けの街づくりがなされているからだ。
若いうちは都市部で働き、高齢者となってからは地方の土地やサービスを利用する、そういう仕組みが求められているかもしれない。
ただ、、
日本の人口減少社会に関する本を連続して読んだので多少飽きてしまった…
未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)
- 作者: 河合雅司
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/06/14
- メディア: 新書
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2018.5.16読了